2019/07/14
7/14巻頭言「まずは、社会的引きこもりへ」
今年三月政府は、40歳から64歳の中高年の引きこもり状態にある人が61万人と推計した。39歳までの引きこもり54万人を足すと115万人。政府は就労支援を強化するとしている。それでいいのか。 この間「引きこもり問題」がテレビや新聞を賑わした。しかし、「引きこもりの何が、どう問題なのか」という肝心な議論はなかったように思う。いわゆる8050問題、つまり80歳の親が50歳の引きこもりの子どもの面倒を見ている状態で、親が亡くなればどうなるのか?と心配する声がある。政府の調査では中高年引きこもりの場合、34%が両親の家計に頼っている。あるいは、このままでは生活保護受給者が増えると言う人もいる。政府の就労支援はその対策のようにも見える。だが、どれも「引きこもり」そのものに関する論点ではない。
政府の調べでは、中高年引きこもりのきっかけは、「退職36%、人間関係21%、病気21%、職場一19九%」となっている。これらの要因は「自殺の要因」と重なる。大事なのは、自殺にもつながりかねない状況を抱えつつも「彼らは生き延びた」という事実である。「引きこもり」は、自分を守る自衛手段であり、家(家族)はいのちを守る「安全基地」なのだ。もし、その場所(人)がなければ死んでいたかもしれない。だから「引きこもりは問題だ」と頭ごなしに決めつけて、無理やり家から出そうとしたり、ましてや就職させようと言うのは、本人から「安全基地」を奪うことなる。
一方で、問題もある。「安全基地」が家族、身内にしかないという「日本の現実」だ。「引きこもり」は、日本独自の現象だと言われる。当然、諸外国にも社会参加ができない人はいるが、彼らは家族以外の社会の中で居場所を確保できるという。日本には社会がない。あるのは自己責任と身内の責任。そんな身内の責任論社会の終局の姿が「周囲に迷惑をかけてはいけない」と思い詰めた父親による子殺しである。これを「責任感のある親」と評価する社会はもはや社会とは言えない。
ひとまず社会の中に安心して引きこもれる場所、もう一つの「安全基地」を準備したい。まず、死なないために。子どもを殺さないために。「家庭内引きこもり」を「社会的引きこもり」へと移行できる選択肢がほしい。住居と食べることは確保される。安心できるまで引きこもれば良い。親は親で、これまでのように丸抱えはしないが、できること、親しかできないことを担当する。住宅にはおおらかな見守りがあり、誰かと出会い、つながることに重点を置く。本人の希望に合わせて種々の支援も受けられるし、時(カイロス!)が来れば就職したら良い。
イエスは言う。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章)。イエスの存在は「安全基地」であり、「ひきこもり先」だったのだ。人は生きるために「引きこもる時」が必要だと、イエスは言っておられる。