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2019/10/06

10/6巻頭言「抱樸30年-あんあたもわしもおんなじいのち」

 昨日抱樸は、活動開始30年を迎えた。多くの方々が駆け付けてくださり「あたたかいひと時」となった。苦労が無いわけではない。しかし、30年をキチンと「清算」すれば「結果プラス」だと確信する。力及ばず、みすみす死に至った人もいた。言い訳はできない。出会った責任があるのだ。責任を果たしたなどと言えるはずもない。僕は、やはり神様がおられると思う。いろいろあるが結論は「出会って良かった」。そうでなければ30年続かない。
来賓の方々から熱いメッセージをいただいた。小室さんのコンサート。「痛み生きているしるしだ」泣けてくる。絆は傷を含むのだ。傷を避けては、人は共に生きることはできない。傷つかないなら、それは「出会っていない」証拠。抱樸の30年は現場のスタッフが満身創痍で引き受けてきた。同時に力量不足のスタッフに当事者たちは傷ついた。しかし、その傷こそが新しい人の在り方、社会の在り方を創りだした。恐れてはいけない。共生はそもそも大変なのだ。共生とは断らないこと、それゆえに健全に傷つく仕組みなのだ。
抱樸の大事にしていることは、次の五つ。
1、「いのちに意味がある」   「生きる意味がない」と人が殺される時代になった。歪んだ「生産性」や「有用性」がいのちを分断する。抱樸はそんな時代の「対抗文化(カウンターカルチャー)」。
2、「断らない」   「抱樸」とは「樸」(山から伐りだされた原木)を「抱く」と言うこと。「製材され整ったら引き受ける」では手遅れ。抱樸が目指すのは「そのまま引き受ける」こと。「断らない」ということ。
3、「つながる」   これまでの支援は「問題解決型」が中心だった。結果、支援側が成果主義や生産効率主義に陥った。「伴走型支援」は「つながること」を目的とする。「出会い、つながり、応援」を大切にしてた。専門家のみならず地域に暮らす多くの人々とだれだけ「つながる」かが重要。その点で「質より量」が大事になる。
4、「安心して失敗できる」   「人生山あり谷あり」。「問題解決型支援」は、ややもすれば「失敗する権利」を侵害する。人生に「ガードレール」を敷設し失敗しないようにする。だが、それは安全かも知れないが、実に窮屈な人生を強いることになる。抱樸は「セーフティーネット型」。それは、空中ブランコの下に張られた網であり「落ちないための網」ではなく「落ちても死なないための網」なのだ。
5、「家族機能を社会化する」   戦後の日本社会は、企業が家族の面倒を見るという「日本型社会保障」を構築してきた。しかし企業は脆弱化し、非正労働者が4割を占めた現在において「家族の機能」は確実に縮減した。抱樸が目指したことは「家族機能の社会化」。「身内が責任を取れ」と多くの人が言う。ならば、身内を増やすしかない。抱樸は、赤の他人が「家族の機能」を果たす仕組みを創ってきた。全くの赤の他人が葬儀(家族機能の最たるものなのなどと)を担う。これが地域共生社会ではないか。

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