2022/03/06
3/6巻頭言「神様が創られた」
神様が創られた。そう、すべては神様によって生まれたのだ。だから、すべてのいのちに、すべてのものに神様の思いがこもっている。口は、宣戦布告のためではなく、ましてや誰か蔑むためでなく「愛してる」と告げるため、「あなたを赦す」「ごめんなさい」と告げるために創られた。 手は、武器を持つためではなく、ましてや奪うためでなく、互いに握手をするために、支え合うために創られた。耳は、人々の嘆きや絶叫を聴くためではなく、ましてや子どもたちの悲鳴を聴くためでなく、小川のせせらぎと笑い声を聴くために創られた。目は、無残な兵士たちの遺体を見るためではなく、ましてや絶句する子どもたちのこわばった顔を見るためでなく、美しい花と人々の笑顔を見るために創られた。
道は、戦車の隊列を移動させるためでなく、ましてや難民がさまよい歩くためでなく、人が出会い手をつないで散歩するために創られた。空は、戦闘機が飛び交うためでなく、ましてやミサイルを他国へ届けるためでなく、鳥たちが「ピース、ピース」と歌い人々が顔を上げそれを見るために創られた。海は、戦艦を走らせるためでなく、ましてや機雷を浮かべるためでなく、生命の源として別れた大陸を結び付けるために創られた。
そして人は、・・・人は何のために創られんだろう。人は、愛し合うために創られた。助け合うために人は創られた。ただ、そのために人は創造された。だから神様は人を極めて弱く創られた。ひとりで生きてはいけない存在として創られた人は他者を求め生きていく。共に生きる。それが人なのだ。なのに、助け合わねば生きていけないはずの人が殺し合う。相手を認めず「俺の子分になれ」と迫ってくる。時には脅し、時には力ずくで。だが、それは人であることを否定すること。神様は、そんなことのために人を創られたのではない。勝手なことをしてはいけない。人は人として、創られたままに生きるしかない。それが人らしい生き方だ。
明日は、なんのために創られたのか。今日がどんなにつらくても、明日を信じて生きられるために創られた。夢は、何のために創られたのか。人は時に悪夢を見る。つらい経験がそうさせる。しかし、まだ見ぬ事実は存在する。過去の悪夢ではなく、未来を夢見るために神様は夢を創ってくださった。
国は、・・・・・・・。国は、何のために創られたのか。人のエゴの具現化するための道具なら、いっそない方がいい。しかし、国が人を守るために存在するのなら、ただそれだけのために存在するのなら、国も神の恵みとなることが出来る。自分の国が大事だという人は、他の国を尊重しなければならない。国が存在し続けるための最低ルールはそこにある。「自国第一主義」は神の創造の意思に反する。
世界は今、闇の中にある。しかし、闇もまた神の創造であるのなら、私達はこの闇のただ中で光を見出すことが出来るのだ。「光は闇の中に輝く」。闇は光には勝てない。闇は光を際立たせる脇役に過ぎない。闇の存在が私たちに光を希求させるなら、あえて闇を見つめよう。目をそらさず今、この闇を。神が創られた人々は、今、気づき始めている。そう、自分は何のために創られたのかを。この口は、この手は、この耳は、この道は、この空は、この海は、何のために創られたのか。その答えを世界は見出しつつある。 だから、剣をおさめよ。剣をとるものは剣にて滅びる。おさめた剣を鋤に打ち換えよう。今が、その時なのだ。そうだ、今が新しい世界のはじまりなのだ。あきらめてはいけない。顔を上げて歩みだそう。青空が見える。