2022/09/25
9/25巻頭言「『わからない』と言える―不可解への耐性」その➁
(丸善出版に頼まれて「學鐙」2022年秋号に原稿を書いた。)
一方、他の委員から「断らないですべて引き受けると支援員がバーンアウトする」と危惧する声も聞かれた。なぜ「断わらない」とバーンアウトするのか。
それは従来の支援が「問題解決を唯一の目的」としていたからだと思う。そういう支援を「解決型支援」と呼びたい。「解決型」において「相談を受ける」とは「解決する」を意味していた。これについて報告書では「『断らない』相談を継続するために、相談を受け止める相談支援員がバーンアウトしないよう、スーパービジョンやフォローアップ研修等が必要との意見があった」と記載されたが、私はこの意見は「やや正解」と言いたい。
というのは、「断らない支援を実現するために支援員を研修させ強化する」ことが、最も「支援員がバーンアウト」させる要因となるからだ。研修が不要とは言わない。だから「やや正解」。しかし、「なんでも解決できるスーパー支援員を育てる」という事だとすると、それは無理だし、そんな人は見たことがない。そもそも「すべて解決」しなくても良い。ここには「支援論」の違いがある。
従来の「解決型支援」とは違う「オータナティブな支援論」が必要なのだ。つまり、「解決」が目的ではない支援、「伴走型支援」である。その目的は「つながること」であり、解決出来なくても「ひとりにしない」ということだ。そもそも現在の不安定な社会においては、解決してもそれで安定することは難しい。例えば、再就職が決まっても、その先が非正規など不安定雇用ならば、二、三年で「第二の危機」「第三の危機」が訪れる。大切なのは、その時、誰とつながっているかだ。
孤立化が進む社会において「伴走型支援」は、一層重要性を増している。「解決しなくて良い」ということではない。ホームレス状態が放置されて良いはずがない。しかし、人には「時」がある。「正解」だからと「時」を無視して「自立」を押し付けるとロクなことにならない。そんな時はただつながり続けるしかない。「時」を待つのだ。この「待つ」ことも立派な支援だ。
さらに「解決」だけを求め過ぎると「解決が難しそうな人は受付けない」ということにさえなる。「クリームスキミング(良いとこ取り)」だ。支援員のバーンアウトを避けるための自衛手段かも知れないが、それでは「断る支援」となってしまう。「解決せずともひとりにしない」。この視点を「持つか」「持たないか」で、「断らない支援」の可否が決まる。支援員の研修以前に「解決型」と「伴走型」という二つの支援を両輪として認識することが重要だ。
3,失敗する権利―死なない程度に失敗できる
内野の親父さん(仮称)は、お酒が大好き。やっと野宿を脱して地域で暮らすようになった。が、それから一層大変だった。しばしば地域の方から連絡が入る。「内野さんが道路で寝てます。なんとかして」。月に数回呼び出しがかかる。重度のアルコール依存症だった。何度も本人と話し合い、何度も入院した。数年後、歳を重ねた内野さんは、ひとり暮らしが出来なくなりNPO抱樸(ほうぼく)が運営する「抱樸館」に入居された。
つづく