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2025/03/09

3/9巻頭言「人はいつか変わる。変わらなくても人は生きる」 その①

 ホームレス「自立支援」、困窮者「自立支援」、障害者「自立支援」などなど、あちこちで「自立支援」という言葉を耳にする。路上に暮らす人にひたすらお弁当を配っているだけではらちが明かない。だから抱樸でもアパートへの入居支援、就労支援など「自立支援」に力を入れてきた。居住や就労に限らない。「自立支援」には、社会参加、さまざまな人との出会い、趣味の獲得などなど様々なことが含まれている。大切なのは「選択肢を増やす」という事だ。いろいろな人がいるので選択肢は多い方が良い。
 ただ「十分な選択肢を準備できたら万事うまくいく」というわけでもない。当たり前だが選ぶのはご本人だ。直ぐに選ぶ人もいるが、「考えとくわ」「今度でいいわ」「放っておいて」という人もいる。こちらが準備した選択肢がフィットしないこともある。だが、それだけではない。支援者からすると「なぜ、選ばないの」と不思議に思うこともあるが、そういうことはよくある。選択肢が足りないのではない。「人には時がある」からだ。
 「時」は「時間」ではない。ギリシャ語ではそれを「カイロス」と「クロノス」いう別の言葉で表す。私は「カイロス」を「時」と、「クロノス」を「時間」と言っている。「クロノス」は「クロック(時計)」の元になったことばで、現代人はこの「クロノス(時間)」に従って生活をしている。「何月、何日、何時、何分に予定が入っている」とか「次の電車は何分後に来る」とか。計画を立てそれに従って行動する。「自立支援の現場」においても支援者は、本人から聞き取りなどを基本に「目標」を定め「支援計画」を立てる。この支援計画は「クロノス(時間)」の中で実施される。例えば「半年後に就労する」という具合。
 しかし、人は「時間」だけで生きてはいない。人には「時(カイロス)」がある。「時」とは何か。「生まれる時」、「死ぬ時」、「花が咲く時」、「花が散る時」、「創る時」、「壊れる時」。こういう場面で使うのが「時」である。「時」は「時間」ではない。「その時」が来ないと解らない。それが「時」である。人は自ら「時間」を定め、計画を立てることは出来ても「時」を定めることはできない。雪が降れば計画(時間)が大幅にずれる。「時」の中であたふたする。私たちは「時間と時の齟齬」の中で生きているのだ。
 自分のスケジュール帳に「病気になる時」を書く人はいない。ましてや「死ぬ時」など書けるはずはがない。「その時」がいつなのかは誰にもわからない。にも拘わらず私たちは「計画(時間)」を定めて日々を過ごす。「自立支援計画」を立てることはできても「その人の時」を定めることは出来ない。このことを理解しないと計画通りいかないことを「相談員としての力量不足が原因」と自らを責めてみたり、「本人の努力が足りない」と相談者のせいにしたり。そういうこともあるかも知れないが、それだけではない。「時ではない」からだ。「立ち上がる時」、「生きようと思える時」。その「時」が来るまで待つしかない。

つづく

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