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教会

2022/04/24

4/21巻頭言「紫蘭の集い-ともかく一緒」

 「先生、庭の紫蘭が咲いたよ」と由利さんが教えてくれた。見に行くと紫蘭の花がいくつも咲いていた。この教会がまだ旧会堂で礼拝をしていたころ。表通りから裏通りに抜...

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2020/11/08

11/8 巻頭言「教会は何をすべきか―創立65周年にあたって」

東八幡キリスト教は、創立65周年を迎えました。コロナ状況における教会の意味を考える時を迎えたのです。「自粛」という言葉が跋扈する中、感染を考えるとやむを得ずと...

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2019/09/15

9/15「星の下は、なぜ必要か?」その4

これまで「星の下」の意義について述べてきた。「星の下」は、東八幡キリスト教会が「つながる」ことを福音の本質として見出した結果生まれた。私たちが既に神につながれて...

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2019/04/21

4/21巻頭言「すべての人の教会になるために―2019年度主題宣教よ...

大切なのは「私だけ」というようなケチなことは言わないということです。「東八幡教会に来ている人にだけ」とか「クリスチャンになった人にだけ」などと対象を限定しないと...

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2018/09/30

9/30巻頭言「今日、『すべて』という意味について」

 昨日は、第9回東八幡楽会が開催された。来年から始まる中長期計画について、一日かけ皆で話し合った。長丁場だったので、疲れた方もおられたと思うが大変有意義なひと...

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2017/11/19

東八幡キリスト教会がバザーをやる意味

とかく教会でバザーをすると「神の家を汚すことにならないか」という議論になる。東八幡教会ではこの声は上がったことがないが(それもいいのかな?)、「まあ、昔はそんな...

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2017/06/25

悩む教会、悩ます教会

先日「べてるの家」の向谷地先生ご夫妻と伊藤さんが礼拝に来てくださった。四年ぶり。「べてるの家」は一九八四年に精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点としてスタ...

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2017/01/03

どうでもいい『いのち』などない

東八幡キリスト教会は毎年教会標語を掲げる。私が赴任した一九九〇年は「共に生きる開かれた教会」だった。まあ、そういうことでしょう。翌年が「誰が隣り人となるか―いの...

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2016/06/12

救いからの解放

現在日本のキリスト教は衰退の一途をたどっている。二〇一三年版「宗教年鑑」(文化庁)によるとキリスト教系の宗教団体数は九二七七件。信者数は一九〇万八四七九人。前年...

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