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2020/04/05

4/5巻頭言 「最後まで残るもの―九右衛門、長兵衛を訪ねる」

年を取るとはどういうことか。私の場合、目が見えなくなったこと、つまり老眼鏡が手放せなくなった時、「ああ、年取ったなあ」と実感した。ちなみに皆さんお気づきの「頭の毛」の方は、実は大学生の時に「すでにそれは始まっていた」ので、逆に「よく持ちこたえている」という感じなので年は感じない。年を取ると得るよりも失うことが多くなる。そんな日常を生きることになる。
福田九右衛門さん(88歳)と出会って十数年になる。実は、九右衛門さんは、ここ数か月落ち着かない様子だった。気が付くと抱樸館を抜け出し、皆で大捜索の事態となる。えらいもので、北九州市は百万人の大都市にも拘わらず、抱樸のスタッフは九右衛門さんを見つけ出す。先日は、生笑一座の公演を終えて夜も更けた小倉駅の改札を出たところで九右衛門さんと鉢合わせになった。「何してるの」と尋ねると九右衛門さんは罰悪そうに「広島に行こうと思って」とおっしゃった。数回続いた「失踪」も、やはり「広島」が目的だった。幸か不幸か、切符の買い方がわからず立ち往生しているところだった。
なんで広島なのか。事情を聴くと友達がいるとのこと。名前は長兵衛さん。かつて九右衛門は、長兵衛さんの家に住み、そこから仕事に通っていたそうだ。どうしても、もう一度会いたいと九右衛門さんは言う。「よし、わかった。一緒に行ってみよう」ということになり、3月27日九右衛門が長兵衛を訪ねるという時代劇のような旅をすることになった。朝8時に抱樸館を出発。小倉駅から広島に向かう。手がかりは、➀広島市内、②路面電車の左側の窓から見える二階建てのアパート、③近くにパチンコ屋があった、の3つ。探してみてダメだったらあきらめるという条件付きの捜索が始まった。当日は大雨。広島駅から、ともかく路面電車に乗る。「左、アパート、パチンコ屋、左、アパート、パチンコ屋」と念仏のように唱えながら車窓を眺める。そもそも九右衛門さんが広島にいたのは、どうやら30年ぐらい前のことらしく、町の様子も変わっている。ご本人は「わからんなあ」とつぶやきつつも、車窓からの風景を追っておられた。昼過ぎ。ついに本人から「あきらめる」宣言が出た。駅で広島風お好み焼きを食べ帰路についた。「どうやった」と聞くと「電車に乗れて楽しかった」とのこと。
年をとっても無くならないものがある。それは人との関係だ。記憶は曖昧になりつつも、つながりそのものは老化しない。抱樸は、そんな無くならないものを大事にしてきた。88歳の九右衛門さんが長兵衛さんとの再会を求めた姿に僕は感動する。結局、人生何が大切かを教えてもらった気がした。 残念ながら長兵衛さんとは会えなかった。そもそもご存命かもわからない。九右衛門さんには、「いずれ必ず会う日が来るよ」と話しておいた。僕らは、最後同じところに行く。天国に。そこでつながったすべての人と再会することになる。死ぬとお金は無意味になるが、つながりはなくならない。死んでもつながりは無くならないのだ。抱樸が目指す伴走型支援はつながりを創ることを目指している。一番大切でなくならないものを得るための支援だ。
聖書は、「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである」(第1コリント13章)という。信仰も希望も愛も、ほかならぬ「つながり」の中で見出すことができる事柄なのである。

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