2025/01/05
1/5巻頭言 2025年新年礼拝宣教「はとであり、へびである」 その①
新年あけましておめでとうございます。毎年お正月は干支で話をしてきました。これで三回目の巳年となります。イエスの言葉でへびが出て来る有名な場面は次の場面だと思います。「へびのように賢く、はとのように素直であれ」。イエスが十二弟子を村々へ遣わす時に語った時、イエスは弟子たちを心配し「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなもの」だと前置きをした上で、それでも愛弟子たちが使命(ミッション)を果たすため彼らに忠告を贈りました。それが「へびのように賢く、はとのように素直」でした。これはどういう事なのか。それを今年は考えたいと思います。
一向に戦争は止まず、世界の分断は一層進んだように思います。イエスが言う通り、私たちはおおかみが闊歩する世界に生きているのかも知れません。ならば、「へびのように賢く、はとのように素直に」は、私たちに対する忠告だと言えます。
11月13日に詩人の谷川俊太郎さんが亡くなりました。私が谷川さんの詩と最初に出会ったのは「死んだ男の残したものは」だったと思います。谷川さんが書かれた詞に歌を付けたのは作曲家の武満徹さんです。この楽曲は、その後多くの方々に歌われました。ベトナム戦争が苛烈(かれつ)さを増していた1965年。谷川さんが武満さんに「詩を書いた。明日の市民集会で歌えるよう、すぐに曲を付けてほしい」と電話しこの歌が生まれたと言います。
谷川俊太郎 「死んだ男の残したものは」
死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった 着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった 思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは 生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない 他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない 他には何も残っていない
「残さなかった」が続き、「兵士」、つまり戦争になった時点で「残せなかった」に変わります。戦争とは本人の意志とは関係なく「残せない」ということ。「一文字」を変えるだけでこれを表現された谷川さんはすごいと思う。さらに、死んだ歴史でさえ輝く今日とまた来る明日を残すのだと谷川さんは言うのです。
つづく