2019/03/17
3/17巻頭言「『ダメ、ゼッタイ。』と言えるのは?」
芸能人の薬物使用が大きな話題となっている。その役者さんがどんな人かもわからないし、「電気なんちゃら」というグループも知らない。「見せしめ」としての批判も、その人を知らない私にはあまり効果はない。「見せしめ」に「抑制効果」がないことは、死刑制度を廃止しても凶悪犯罪が増えなかった他国の現実からもわかる。
この国の薬物対策は、「ダメ、ゼッタイ。」、「厳罰主義」が主流。だが、世界は違ってきている。国連は、二〇一六年に「①薬物依存は脳の病気である。②処罰には再犯抑止効果がなく、治療にこそ効果がある」との方針を示し、「薬物プログラム、対策、政策の文脈において、すべての個人の人権と尊厳の保護と尊重を促進すること」と「すべての人々、家族、社会の健康、福祉、幸福を促進し、効果的、包括的、科学的なエビデンスに基づく治療、予防、ケア、回復、リハビリテーション、社会への再統合に向けての努力をすること」を決議した。だいたい病気ならば、「ダメ、ゼッタイ。」と言っていてもダメ。
薬物を入手すること自体違法だし、入手しなければ病気にもならないのだから、他の病気とは確かに違う。入手については、「ダメ、ゼッタイ。」と呼びかける必要がある。しかし、一旦依存症になってしまった人に「ダメ、ゼッタイ。」と糾弾しても、それは無意味。必要なのは、国連の言う通り「治療やケア」だ。すでに欧米では「ハームリダクション」が議論されている。「個人が、健康被害や危険をもたらす行動習慣(合法・違法を問わない)をただちにやめることができないとき、その行動にともなう害や危険をできるかぎり少なくすることを目的としてとられる、公衆衛生上の実践、方略、指針、政策」を意味する。完治よりも「被害低減」を重視するという考え方で「ダメ」とは違う。公衆トイレに薬物使用者のための注射針のボックスが設置されている国もあると聞く。「ダメ、ゼッタイ。」と締め付けるだけでは、最悪の事態を招きかねない。「死」と言う最悪の事態の手前で留める。それがハームリダクションだ。
だが、「ダメ」が絶対ダメなわけではない。時には厳しくすることも重要だ。そもそも「やっていいよ」とは言えない。国連決議で重要なのは、「本人の人権と尊厳の保護と尊重」だ。ピエールさんへの総攻撃にはこれを感じない。
では、厳しいことを言えるのは誰か。それは、その人を愛している人である。その人の人権と尊厳を守ろうとする人だ。それが無いなら、厳しいことを言ってはいけないし、言っても通じないから無駄である。「ダメ、ゼッタイ。」を言うには、その人を本気で愛するという前提が必要なのだ。パウロは言う。「もし愛が無ければ、一切は無に等しい」と(第一コリント一三章)。愛しているから「ダメ」と言える。でも、そうでないなら「一切は無」。あの大騒ぎは大変無駄に感じるのは、私だけか。