2019/04/14
4/14巻頭言「明日ではなく今日―黄色いベスト運動に思う」
昨年11月フランスでは「黄色いベスト運動」が路上を席捲していた。燃料税をめぐり、大規模なデモが起こり、マクロン政権打倒を人々は求めた。追い詰められたマクロン大統領は、燃料税凍結を表明せざるを得なくなったが、その後も対立は続いている。
新自由主義によるグローバル経済は、貧困と格差を常態化させた。これは世界的な傾向で日本も例外ではない。自分勝手な市場原理の台頭でこの間世界が協調してきた環境保護や地球温暖化対策も停滞。米国のパリ協定離脱などはその典型である。今後、環境問題は深刻化しいずれ人類、いや地球の存続も危ぶまれる事態となる。
このような現実は、世界の先行きに大きな影を落としているが、黄色いベスト運動の初期にかかげられたスローガンは「エリートたちは世界の終わりを語るが、我々の問題は月末だ」であった。痛いほどわかる。貧困層の現実が「背に腹は代えられない」ところまで来ていることを示していた。「今日が無ければ明日はない」。これも事実だ。
イエスは言う。「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ福音書6章)。イエスの周りにいた人々は、みんな「世界の終わり」を考える余裕もなく、日々の暮らし、いや、それどころか今日の食べ物に窮していた。イエスが教えた「祈り(主の祈り)」。一般的に「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈っているが、実は「も」はない。だから、実際は「今日食べられますように」と祈るしかないのが、イエスの目前にいた人々の現実だった。未来ではない「今日」が問題なのだ。そういう現実を生きていた人々を目前に見ていたイエスは、「もう、明日どころではない、今日が勝負だ。明日のことは、明日悩もう」と言わざるを得なかった。「貧しいから、先のことなどかんがえられない」。これは事実だ。
しかし、「今日の豊かさ」にも課題はある。聖書にこんなイエスの譬え話がある。「ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』」(ルカ福音書12章)。「金持ち」の畑が「豊作」だった。彼は、蓄財できたことで、未来を見渡し安心する。しかし、神は「今夜、君は死ぬんだが、大丈夫」と言われた。
貧しくとも、たとえ豊かでも「今日」を生きるしかない。しかし、黄色いベストが問うたことは、「今日しかない」貧困の現実や格差の固定化がエリートたちが求める「未来の安心」を「どうでもいいこと」にしてしまっているという現実なのだ。