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2020/05/10

5/10 巻頭言「ポストコロナを生きるために-その① もう戻れない」

新型コロナウイルスとの闘いが続いている。世界の感染者数は400万人、死者は27万人となっている。日本人感染者数は、15,000人を超え死者は600人となった(5月9日現在)。4月7日に発出された緊急事態宣言は、五月末まで延長されたが、それで終わる確証はない。今後、第二波、第三波と言われると心がゾワゾワする。
多くの人が「いつになったらあの日に戻れるのか」と嘆いている。もうすでに二か月近く「異常な日々」が続いているのだ。それは正直な気持ちだ。何もかもが変ってしまった。補償無き「休業要請」によって「回復不可能」な状態に追い込まれる人々もいる。もはや「戻りたくても戻れない」のだ。今後さらに派遣切りや雇い止めが増えるだろう。「自殺か、ホームレスか」という最悪の選択だけは阻止しなければならない。
一方で、私は「もう、戻れない」と思っている。それは、新型コロナが終息しないということではない。近々、人類はワクチンや治療法を開発するに違いない。新型コロナを克服するか、あるいは他の感染症と同じく「共存」することになる。
 「戻れない」と言うのは「戻る必要はない」ということだ。新型コロナウイルスも「自然災害」だ。「災害は等しくすべての人に及ぶ」と言う人がいる。確かにウイルスは人を選ばない。お金持ちであろうが、有名人であろうが、貧乏人であろうが、うつる時はうつる。地震も台風も津波もみんなにやってくるのは事実。しかし、その被害は決して平等には出ない。なぜならば、災害時に噴出する「苦難」や「問題」の根底には、被災以前から社会に存在していた矛盾や格差、差別、貧困があるからだ。災害は、それまであった社会の構造的脆弱性が拡張しつつ露呈する瞬間なのだ。
 だから私達は、問わねばならない。私達が「戻りたい」と思っている「あの日、あの社会は、本当に戻りたい社会なのか」と。現在、噴出しつつある「苦難」の根源が社会そのものにあったとしたら、そこに戻ったところで何の意味があるのか。だから、私達は「戻らない」のだ。
日々テレビは感染者数を伝え続けている。私達は、刻々と変わる「コロナ状況」を見つめている。「新型コロナウイルス」は、新しい事柄なので、少しでも情報が欲しい。だが、それに派生して起こっている問題、すなわち「派遣切り」、「雇い止め」、「中小零細企業の脆弱さ」などは、元からあった社会の構造的脆弱さなのだ。私達は、新型コロナの中に、実は「過去」を見ている。「戻りたい」と私達が願う「懐かしい日々に内在されていた矛盾」を見ているに過ぎない。
そうであるならば「戻る」必要はない。経済が低迷した途端に、自殺やホームレスに追い込まれるような社会に戻ってどうする。私達は、ポストコロナを目指して前進しよう。それは、すでに始まっている。「戻る」のではない。新しい社会を創造するのだ。それが新型コロナを生きた者のなすべきことなのだと思う。 
つづく

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