2020/07/05
7/5巻頭言「ポストコロナを生きるために その➈」
2018年一月英国政府は、「孤独問題担当大臣」を新設した。2017年度に実施した調査で、孤独が肉体的、精神的健康を損なうことが判明したからだ。孤独は肥満よりも、あるいは1日15本の喫煙よりも有害とされた。結果、医療費の過剰負担が320億ポンド(4.9兆円)に及ぶと推計された。日本は英国の3倍孤立しており、人口は倍。となると、日本の健康被害は英国の6倍となり、単純計算で30兆円となる。これは我が国の一般歳出に占める社会保障費に匹敵する。
英国政府は、その対策として「Social prescribing(社会的処方)」ということを実験的に実施しているという。これは「薬」の処方ではなく「社会関係改善のための処方」を意味する。例えば、孤独状態にある人がサークルなどに参加するための費用を医療費として支出する。英国は、医療費全額を国が負担しているが、パイロット実施で医療費が20%縮小したとの報告もある。孤独も孤立も個人の問題だとされるが、社会保障費を含め、もはや「個人の問題」では収まらない事態となっている。
すでに「孤立社会」であった日本でも新型コロナウイルス感染が広がり、私達は、他者との「ディスタンス(距離)」を取らざるを得ない日々を過している。これが一層の孤立化へと向かうきっかけになる事を懸念する。
コロナ状況は、私達を「新しい生活様式」に押し出した。私自身、全ての講演会が中止となり会議はインターネットを介してするようになった。テレワークなど仕事の様式も変わった。インターネットでの会議。一見何も問題はない。ただ、私が時代遅れのアナログ人間である故か、極端な寂しがり屋なのか、正直物足りない。「出会っている」感じがしない。ネット会議の終わり「退出」ボタンを押す。「よーし!飲みに行くぞ」はもはやない。上司に無理やり飲まされるのは嫌だが、感染防止のために無理やり飲み会が禁じられるのも嫌だ。「ならばネット飲み会を」と国さえも推奨するようになった。
人間そんな簡単には「新しく」なれない。これは、単に「ついて行けない」という問題に留まらず、そもそも「人間とは何か」、「社会とは何か」に関わる課題だ。私はキリスト教会の牧師なのだが、聖書の創世記の天地創造物語において人が創られる場面で神はこう述べる。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」。独りではダメ、助ける人が必要。それが人間だと聖書は言う。今回のソーシャルディスタンス状況は、人間であり続けることを問う事態だと言っても過言ではない。「ソーシャルディスタンスは2メートル間隔で」と言われている。それは物理的距離に過ぎない。「ソーシャルディスタンス」を字句通り「社会的距離」と解するならば、先に触れた日本における社会的孤立の現状からすると、コロナ前から「ソーシャルディスタンス」は何メートルも開いていたのではないか。
物理的距離は感染防止で開けざるを得なくとも、見えない距離は詰めることが出来る。「見える距離は遠く、見えない距離は近く」。この際、「他者」への想像力を鍛えることが出来るなら「コロナもまた無駄ではない」と言えるかも知れない。
つづく