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2020/08/30

8/30巻頭言 「ポストコロナを生きるために 最終回」

多くの人が「いつまでこの苦難は続くのか」、「いつこのトンネルを抜けるのか」と嘆いている。明けない夜は無い。だが、夜明けはまだ遠いと皆が下を向いている。果たしてそうだろうか。作家の五木寛之のエッセイに「アサガオは夜明けに咲きます」という作品がある。「アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である(中略)ぼくにはただ文学的なイメージとして、夜の冷たさと闇の深さがアサガオの花を咲かせために不可欠なのだという、その言葉がとても新鮮にのこってしまったのでした」。私自身、アサガオは朝の光に照らされて咲くと思っていた。調べてみると五木の指摘通り、アサガオは夜明け前の闇の中で花を咲かせるそうだ。私達は、夜明けを待っている。夜明け、すなわち希望の到来を待ちわびているのだ。だが、闇の中ですでに希望と言う花が咲いているとしたらどうだろうか。それは、すごいことではないか。「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」。
新約聖書ヨハネによる福音書1章15節のことばである。多くの人は、闇が去った後に光が来ると考える。だから、この闇が過ぎ去る時をひたすら待つ。だが、光は闇の中に輝いている。しかも、闇は光には勝てない。そうならば、希望は私達の内にすでに宿っているのだ。この苦難の中で、私達は大切なものが何であったのか気づいたではないか。他者と会えない日々の中で、募った人恋しさは、私達に独りでは生きていけないという事実を認識させた。ステイホームは、アウトホームで働く人々によって支えられている。そんな当たり前のことさえ忘れていたが、思い出したではないか。新しい生活様式への移行が課題だが、「変えてはならないもの」「なくてはならないもの」を私達は確認したい。
貧すりゃ鈍するという。そればかりではない。貧すりゃ出会える。貧すりゃ考える。それが人間。今回のコロナ禍という思いがけない苦難の日々が続くただ中でこそ希望は見出されると私は信じている。

追伸    この原稿を書いてから1か月が過ぎた。コロナは収まっていない。これからどうなるのかを考えると少し不安になる。今後、この国のかたち、いや、世界が変わっていくと思う。この時、ラインホールド・ニーバーの祈りを思い出す。
「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」。 苦難の日は続くが、こんな風に祈りつつ歩んで行きたい。

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