2022/05/29
5/29巻頭言「戦争と結婚と酋長(しゅうちょう)の役割」
昨日、姪っ子の結婚式があった。若い二人の門出を祝いたい。「世界では戦争が起こっているのに結婚式などしている場合か」などと言う人はさすがにいないだろうが、確かに「ただ気楽にはしゃいでいる」場合ではない。しかし、「戦争の時代」だからこそ結婚をする意味があるように私は思う。理由は単純だ。結婚は「人は何のために生まれてきたのか」を明確に示すからだ。銃を握り、殺し合うために人は生まれてきたのか。そうではない。人は愛しあうために生まれてきたのだ。
結婚に限ったことではないが、人と人は愛し合い、助け合うのだ。ただ、そのために生まれたのだ。その「目的」を明確に、しかも恥ずかしがることもなく内外に示す。それが結婚だ。結婚した二人も、それを祝うために駆け付けた人々も、我が子の成長に涙する親たちも、あの場面で「この二人は愛し合うために生まれてきた」と掛け値なしに認めることが出来る。それが結婚式をやる意味であって、極めて平和的かつ反戦のデモンストレーションだと言える。あの場面で誰が若い二人に「お国のために死んでくれ」と戯(たわ)けたことが言えるだろうか。「末永くお幸せに」と言うだろう。ロシアの兵士もウクライナの兵士もその祝福の言葉を聞きたいに決まっている。即刻、戦争を止める理由は、結婚した二人の笑顔を見るだけで十分に示されている。
姪っ子たちの証人代表になってくださったのはフィリピンの「ミンダナオ子ども図書館」の松居友ご夫妻。結婚した二人はそこで知り合った。松居さんと子ども達は、二度ほど東八幡キリスト教会を訪ねてくださった。「子ども図書館」という名前だが、学習施設のみならず、医療施設、何よりも戦争や内紛で孤児となった子どもたちを引き受け共に生活するという取り組みをされている。
久しぶりに松居さんとお話しが出来たが、特に印象に残ったのが次のことだった。「僕は周囲の部族の酋長から『お前は酋長だ』と認めてもらいました。『なぜ、私が酋長ですか』と尋ねると『酋長には役割がある。第一に親を失った子どもを引き受けること。第二に母子家庭の面倒を見ること。第三に部族同士が対立した時、酋長が集まって仲直りをさせること。松居、お前は全部やっている。だから、お前は酋長だ』と言われたんですよ」とほほ笑まれた。長年、現場で、しかもいのちがけで活動されてきた人だけが有する深いやさしさがにじむ笑顔で話されていた。
ひるがえって考えると今の世界には大統領はいても酋長はいない。親を殺し孤児を生み出し続け、父親を戦争で亡くした母子家庭を増やし続け、仲直りを勧めるどころか武器や金を提供して喧嘩を煽る大統領や首相たちは酋長ではない。そんな大統領はいらない。今、世界が必要とするのは「本物の酋長」なのだ。(注:「酋長」という言葉には歴史的に「未開の部族の長」という侮辱的なニュアンスがあるが、ここでは元来の「かしら」「指導者」という意味で理解する)
先が見えない戦争が続く中、結婚式と松居酋長は、私達がどこに立つべきなのかをはっきりと示してくれた。そんな思いをもって帰路についた。みんなで酋長になろう。そんな思いになった。