2022/06/12
6/12巻頭言「なぜ、希望のまちは必要か-その② 『シン自立生活サポートセンター小倉(仮称)』 『シン地域互助会』-家族機能の社会化 つづき」
【希望のまちで何ができるか】
「希望のまち」には、「シン自立生活サポートセンター小倉(仮称)」が設置されます。ここに複数の専門スタッフが配置され日常生活支援に当たります。現在、北九州市からの委託枠として「ホームレス自立支援センター」に「小倉サポート」が配置されていますが、今後市側とも話し合い、拠点を「希望のまち」に置きたいと考えています。(「ホームレス自立支援センター」自体、今後大きく形を変える時期を迎えていますが、それに合わせて検討します)。
また、地域互助会として「地域互助会小倉(仮称)」を創設します。「地域互助会八幡」と連携することで、「家族機能の社会化」を進めます。実は、「希望のまち」周辺には自立支援センター出身で現在の「小倉サポート」とつながっている方が900人おられます。この方々と「希望のまち」がつながることを目指します。
ただ、これまで「地域互助会」の中心は「なかまの会」であり、自立された当事者の方々でしたが、今後「シン自立生活サポートセンター」や「地域互助会小倉」においては、「野宿経験者」や「自立支援対象者」に限らず、地域の方々が誰でも対象となり、誰でも入れるものに拡張されます。出会いから看取りまで、家族無き時代に「家族機能を担う地域」を創ります。
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(字数が中途半端に余ったので、別のことを書きます)
2004年に市との協働事業として「ホームレス自立支援センター」が開所した頃、「自立」ということがことさら強調されるようになりました。それに対して「いのち家構想」ということを皆で話し合ったことがあります。これは「自立」という「成果」のみが評価される傾向に対する抵抗の意思を示すことでもありました。つまり、「自立」という「人は変わることが出来る」ということを基調とする支援と共に、「いのち」、すなわち「変わらなくても人は生きる」というテーマが無くてはならないということでした。小倉北区のどこかに「誰でも来られる場所」「野宿状態の人が、そのまま来られてお茶を飲んで帰る場所」を創りたいと考えました。これは残念ながら実現しませんでした。
2013年に抱樸館北九州が開所した時、私達は「抱樸村構想」ということを話あっていました。「抱樸館」という一つの施設ができるのではなく、そこを中心にまちづくりを行う。抱樸館が「まちの福祉の拠点」となる。あるいは抱樸館を複数創り(抱樸館一号館、二号館、三号館・・・・)「面」として展開するというものでした。住民反対運動などもあり、なかなか思うようにはいきませんでしたが、「誰でも来られるレストラン」「ボランティア事務局」、特に「地域互助会」と「自立生活サポートセンター」は、この発想の具現化であったと言えます。