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2022/11/20

11/20巻頭言「『助けて』と言い合える『希望のまち』をつくる」 その➁

 (毎日フォーラムの取材を受けました。連載します。)
―具体的な中身は。
まずは拠点となる施設を建設し、その中に七つの機能を備えます。子どもたちへの学習支援と日常的な居場所、相談窓口、地域活動のスペース、障害のある人が働き、地域の人々と交流できる場など。救護施設や災害時は避難所にもします。


―救護施設とは。
困っている人はだれでも支援を受けながら生活できる場という意味です。 国の責任で実施する施設に「救護施設」があり、これらは措置施設と呼ばれ、対象者を限定せず、行政の判断で入所が決められる生活保護施設ですね。
私たちが目指す救護施設は、措置施設という国の枠組み(公助)と、地域コミュニティーという民間の枠組み(共助)がいわば一体化したもの。本来の自助努力がなされる場となります。


―そもそも、路上生活者の支援活動を始めたきっかけは。
大学の神学部に通っていた1980年代初め、先輩に連れられて大阪の釜ケ崎を訪ねたことを機にボランティア活動を始めました。 釜ケ崎は当時、「日雇い労働者の街」と呼ばれ、人情味があふれ、活気がある反面、自分の居場所がなくて路上で過ごす人が少なからずいた。その後、福岡市の西南学院大で学び、北九州市の路上生活者におにぎりを配るようになった。


―そのころに比べ、日本の社会はどのように変化したと感じますか。
日本全体でみると、「社会が路上に追いついてきた」ということですかね。貧困や格差の問題が常態化して、路上生活との差が狭まってきた。日本経済を支えてきた中間層が崩れ、年収150万~200万でギリギリ暮らしている。そこに新型コロナウイルス禍が追い打ちをかけたという図式です。


――新型コロナウイルスの感染拡大とプロジェクト始動の時期がちょうど重なりました。コロナ禍で顕在化したことは。
困窮と孤独がより深刻化したと言えます。実は私自身はコロナ禍になって、少し期待したことがあった。ウイルスの感染問題については、すべての人が当事者。だから、「みんなが協力しないと生き残れない」という世界観に入った。米国のトランプ前大統領が、「アメリカファースト」と豪語していたさなかに始まり、「世界は協調の方向に戻るのではないか」とね。ところが、むき出しになったのは「自分や家族だけよければいい」という「自分ファースト」だった。「医療従事者に感謝」と言いながら、看護師の子どもが保育園に通ってくることについて他の保護者が難色を示す。      

続く

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