2024/10/20
10/20巻頭言 「北九州市民として、日本人として―ノーベル平和賞に思う①」
ノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた。70年にわたり、あきらめることなく「核兵器も戦争もない地球」を訴え続けてられた被団協の方々に感謝すると共に、この受賞の意義を「噛みしめたい」と思う。
「噛みしめる」というのは、この地球に暮らす者として、平和を求める者としての思いだけではない。そこには「当事者性」、あるいは「主体性」と言ったことが問われていると考えている。僕は原爆投下18年後に生まれている。被爆者ではない。家族にも被爆者はいない。しかし、この35年間、北九州市で暮らす者にとってやはり「当事者性」はあると思う。今回の受賞は北九州市民にとっても大きな出来事であり感慨深くこの意味を「噛みしめたい」と思う。
1945年8月9日長崎に投下された原爆の第一目標は小倉(北九州市)だった。目標とされたのは小倉陸軍造兵廠(しょう)。軍隊直属の軍需工場が目標だったのだ。しかし、当日投下目標が確認できず第二目標であった長崎に投下されることになる。なぜ、目標が確認されなかったかは諸説あるが、前日の八幡大空襲(市民など2,900人死亡)の煙が影響したとも言われている。
ニュースでは主に広島と長崎の被団協の方々の様子が伝えられていた。一方で私は上記の経緯を持つ北九州市民として今回の受賞を改めて「噛みしめたい」と思うのだ。つまり、私は「当事者」なのだ。にも拘わらず35年間、廃墟になっていたはずの北九州市に暮らしてきた者として「どれだけ核廃絶に向けた行動をとってきたのか」という恥ずかしさを「噛みしめたい」。福岡にも被団協はあるし、被爆者数で見ると広島、長崎についで3番目に多いのが福岡県。だが、私の当事者意識には各段の差があったのだ。
言い訳がましいが私自身行動はなくはない。この20数年、3年サイクルで教会の子どもたちと長崎、広島、沖縄を訪ねる「平和の旅」を続けている。今年3月に広島を訪ねた。なのに被団協の受賞を他人事のように見守る自分が現にいる。北九州市もこの件についてコメントを出したのだろうか(出していたらすいません)。
2016年5月米国大統領バラク・オバマ(当時)は、米国大統領として初めて広島を訪れた。この意義は大きい。オバマは「核なき世界」を提唱し2009年10月にノーベル平和賞を受賞している。しかし、私は、あの日のオバマのスピーチを今も「噛みしめている」。
「71年前の明るく晴れわたった朝、空から死が降ってきて世界は一変しました。閃光(せんこう)と炎の壁によって町が破壊され、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことがはっきりと示されました。私たちはなぜ、ここ広島を訪れるのでしょうか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるためです。十万人を超える日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮半島出身の人々、十二人の米国人捕虜など、亡くなった方々を悼むためです。こうした犠牲者の魂は私たちに語りかけます。彼らは私たちに内省を求め、私たちが何者であるか、そして私たちがどのような人間になるかについて考えるよう促します」。