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2024/12/15

12/15巻頭言「闇バイトと学校教育」

 闇バイトの根底に若者の貧困があることは既に述べた。困窮者を支える制度は幾つもある。生活困窮者自立支援制度、求職者支援制度、そして生活保護。「十分か」はともかく制度はある。だが、残念ながら利用する人は少ない。相談できず結果「闇バイト」ということになっているかも知れない。なぜ、それらの社会保障制度は活用されないのか。一つに生活保護に対する「スティグマ(差別・偏見)」があることは確かだ。「保護をもらったら終わる」という声さえ聴く。保護は権利。僕は、その日が来れば躊躇なく申請したい。
 さらに「そもそも知らない」ということがある。原因はどこにあるか。その一つが学校教育だと思う。振り返ると学校で社会保障と言う概念などは習ったが、生活保護や失業保険の申請の仕方や条件など具体的なことは教えてもらった記憶がない。なぜ、学校は社会保障制度の使い方を教えないのか。
それは単純にカリキュラムに入っていないからだ。では、なぜカリキュラムに入っていないのか。そこには学校における「教育観」が影響していると思う。簡単に言えば学校が目指すのは「社会保障制度などに頼らないで生きていける自立した(強い)人の育成」だからだ。学力や能力を伸ばし、自分で稼げる人になる。「自立的人間」、極端にいうと「強人」あるいは「超人」の育成が学校の目的となっているのではないか。そうならば社会保障制度など教える必要はない。
 教員すべてがそんなことを教えているわけではない。「強さを求める社会」に対抗する「人権教育」をされている教員は多数いる。だが、学校教育に「向上」や「上昇」、あるいは「強化」というベクトルが明確にあることは事実。能力開発自体を否定するわけではないが、それだけでは困る。なぜなら「人間は弱い」からだ。
 昨年度、うつ病などの精神疾患で休職した公立学校の教員は653九人。業務過多や保護者からのクレームなどが原因とされているが、根本に「強さの追求」ということがあると思う。教員も人間。当然「弱い」。しかし、その事実を隠しつつ「先生」をしていると「教育」と「自分」の間に乖離が起こる。倒れた「先生」の中には「生徒に申し訳ない」、「教師失格」という自責の念があるかも知れない。「強さ」を求めてられている学校で休職せざるを得ない「先生」は本当に辛いと思う。
だが、そんな「人間の現実」、つまり人は弱く、壊れてしまうという事実を休職中の先生たちは生徒に教えてくれている。そういう時には無理せず「休職」し、休業補償や傷病手当を利用できる。これまでのカリキュラムにはなかった「生きた教育」を実践しているのだと思う。それを目の当たりにした生徒は人間の本質を深く理解し、いずれ自分がしんどい状況になった時「あの日の先生」の姿を思い起こす。どうすれば良いか考えることが出来るようになる。
 生活に困ったからとて「闇バイト」に頼る必要は一切ない。使える制度はある。すぐさま解決せずとも一緒に考えてくれる人はいる。「自立相談窓口(生活困窮者自立支援制度)」は、すべての基礎自治体に配置されている。生活保護もある。そういう大切なことを学校でもっと教えてもらいたい。そうすることで「闇バイト」を防ぐことが出来るだけでなく、学校が風通しの良い優しい場所になるように思う。

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