2025/01/19
1/19巻頭言「2025年新年礼拝宣教『はとであり、へびである』」その③
この谷川さんの言葉にイエスの語る「素直」さを見る思いがします。「はとのように素直に」とは「美しいものと出会い、美しいと言える」ことなのだと。生きる上でそれは大切なことです。イエスは、弟子たちを町々に派遣するのですが、それは「おおかみの中に羊を送ること」になると言います。厳しい環境の中で弟子たちの活動が行われることが伺い知れます。しかし、どんな厳しく、悲惨な現実を前にしても「美しいものに出会い」、「美しいと思える感性」を持つこと。「美しい」と言える「素直さ」を忘れてはいけないとイエスは言うのです。
人は厳しい状況に置かれると「素直さ」を失いがちです。ひねくれてしまうこともあります。何を見ても灰色に見え「美しさ」を見出せない。感動も無く「世界には何一つ良いものはない」と思いこむ。どんよりとした日々を過ごすことになります。しかし、そうではないとイエスも詩人も言うわけです。世界には「美しいもの」がたくさんある。それを素直な気持ちで見なさい。どんな状況でも「美しいもの」と出会い続けなさい。それを「はとのように素直」に受け止めなさい。それが「生きているということ」だとイエスは弟子を励ましたのです。
はとが素直なのかどうか知りません。「ひねくれたはと」もいるのかも知れません。しかし、「はとのように素直に」と言われると何となく「はとが素直の象徴」に思えてきます。イエスの言葉使いに詩人の趣(おもむき)を感じます。今、世界は厳しい状況にあります。生活が厳しい人は増え続けています。戦争は止まず、世界の分断が一層進むかも知れません。だからこそ新しい年は、「はとのような素直さ」を忘れないで生きていきたいと思うのです。
一方で谷川さんは「美しいものと出会うこと」の直後に「そして、かくされた悪を注意深くこばむこと」と語ります。この一言は重要だと思います。美しいものと出会いつつもすべて手放しで喜ぶわけにはいきません。詩人の目は社会のもう一つの現実を見つめています。「悪が存在する」。それも現実です。しかも注意すべきは「悪がかくされている」という事実です。悪が悪の形をもって現れることは少ない、ということです。誰の目にもあきらかな「悪」であれば避けることも容易かも知れません。しかし、悪は「かくされた形」をもって私たちの前に現れると詩人は警告しています。時には「美しいもの」の中に、時には「感動」の中にも「悪」が潜んでいることがあり得るのです。それを「注意深く拒む」。それが「生きる」という事だと谷川さんは言います。
つづく