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2025/02/09

2/9巻頭言「弔辞―山﨑克明先生を偲ぶ」 その①

 山崎克明先生が召された。この方には「感謝」のことばしかない。25年以上にわたり様々な面で支えていただいた。牧師として、人として、そして何より北九州市におけるホームレス支援を進める上で山崎先生にはお本当に世話になった。この方との出会いがなければ今の抱樸は無かったとさえ思う。
 抱樸は1988年に活動を開始した。当初10年ほどは路上をひたすら訪ねながら、一方で北九州市と対立・抗争の日々だった。「現住所がない」という理由で生活保護の申請が受理されず、路上死さえ珍しくない現状が私は許せなかった。「住居がない」こと自体、憲法25条に保障された「生存権」に抵触している。にも拘わらず「家を確保したら生活保護を受付ける」という本末転倒の対応が繰り返されていた。
 小倉駅、銀天街、勝山公園、紫川、黒崎駅、戸畑駅など市内各所で野宿者があふれていた。「本市にホームレスは確認できない」などと市が説明する場面もあり腹が立った。今となれば恥ずかしいが「殺人行政出てこい」とメガホンで叫びながら野宿当事者らと共に市役所に突入したこともしばしばだった。このような事態は2007年「おにぎり食べたい餓死事件」を機に「闇の北九州方式」として全国に知れわたることとなる。北九州市の名誉のために言っておくがその後、福祉行政は大きく変革され路上からの保護申請も受け付けるようになった。これは全国に先駆けての取り組みだったと思う。
 市が炊き出しの場所である公園の入り口に車止めを付け活動を邪魔するということが何度も起きた。場所を変えつつ活動を続けたが「ここなら車止めも付けられまい」と市役所敷地内で炊き出しを始めたのは1999年頃だった。そして2000年夏、ついに私たちは北九州市と真正面からぶつかることとなる。市は警察官も動員し炊き出しを阻止。人道援助活動が行政によってつぶされるという前代未聞の事態に全国から抗議の声が上がった。
 ただ、私は行き詰まっていた。このまま力で押し切ることを繰り返しても埒が明かない。そんなことをしている間にも路上で人が死んでいく。さらに「行政が悪い」と相手のせいにすることに甘んじている自分に気付いた。このまま力で押し切ころうとしても埒が明かないことは明らかだった。山崎先生と出会ったのはその頃だ。
続く

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