2019/01/13
1/13巻頭言「新年礼拝宣教『いのししに食われる日―その日神のために私は何を祈るのか』」その①
あけましておめでとうございます。毎年、干支にちなんだお話しをしています。今年は亥年、「いのしし」です。困ったことに聖書には「いのしし」がほとんど出てきません。1991年のお正月以後、続けています。つまり、私が就任以後初めてのお正月が1991年が「未(ひつじ)年」でしたので、1995年、2007年となり、今年が三回目の「いのしし」になります。一二年前ですから、前回どの箇所で、どんな話しをしたのか、本人さえ覚えていないので、たぶん皆さんも忘れておられると思いますから、安心してお話できるわけです。前回は「豚」か「イノブタ」を「広い意味でのいのしし」ということで話したような気もしますが、今回は、口語訳聖書において一カ所だけ登場する「いのしし」の箇所からお話ししたいと思います。詩編80編です。
まずは、何が書いてあるのかを順に見てゆきたいと思います。場面は、紀元前8世紀、BC721年ごろのパレスチナだと言われています。「80:1 イスラエルの牧者よ、羊の群れのようにヨセフを導かれる者よ、耳を傾けてください。ケルビムの上に座せられる者よ、光を放ってください。」イスラエルの民が、牧者である神に助けを求めています。ヨセフとは、イスラエル民族全体を指す伝統的な言い方で創世記の終わりに登場する「ヨセフ物語」、いわゆる「売られた少年」の「ヨセフ」のことを言うそうです。イスラエルの祖である、アブラハム、イサク、ヤコブと続いた、このヤコブの子どもで、兄弟の策略でエジプトに売られていったヨセフです。その後、ヨセフは、エジプトの宰相となり、飢饉で困っていたヤコブの一族を助けます。「ヨセフ」という呼称を用いる背景には、このような「神による救済」の物語を思い起こしているということがあるのかもしれません。イスラエルの人々は、自分たちの苦難の叫びに神が耳を傾けてくださることを祈っています。「ケルビム」は、モーセの十戒が入れられた「契約の箱」を守る神からの使者です。その「ケルビムの上に座せられる者」は、すなわち神様です。「神様、光をください。私たちは、闇の中にいます」と彼らは嘆いているのです。
「80:2エフライム、ベニヤミン、マナセの前に/あなたの力を振り起し、来て、われらをお救いください。」エフライム、ベニヤミン、マナセは、北方のユダヤ人を指します。これは国が二つに分裂した時の北イスラエルに属した人々でした。「神様の力を振り起し、やって来て、私たちを救ってください」と叫びます。何が発揮して、救ってください。一体何が起こっていたのでしょうか。実は、大国のアッシリアによってイスラエルの国が制圧されたのです。アッシリアは、強大な国でした。それまで、銅の時代が長く続いていましたが、いよいよ鉄の時代へと移行します。ヘテ人と言われた人が「鉄」を発明したと言われています。鉄は銅を貫きます。このヘテ人が発明した鉄を引き継いだのがアッシリアで、紀元前800年頃には鉄製の武器で武装した軍隊を誇っていたそうです。そのような「鉄の軍隊」を有したアッシリアは近隣諸国を制圧していきました。そうして、イスラエルもまた、自分たちの住んでいた地域から追放されたのでした。
(つづく)