2020/03/01
3/1巻頭言「なぜ、希望のまちだったのか」
抱樸が活動を開始して32年となる。これまで私達は「個別支援」に特化した活動をしてきた。つまり、出会った「その人」の事を考えてきたのだ。
私達はこれまで何度も「住民反対運動」に遭ってきた。自立支援センター、抱樸館福岡、そして、抱樸館北九州。いずれも「迷惑施設」として手痛い反対を受けた。
偏見や差別がその根っこにあるのは事実だ。だが、一方で実は「反対されても仕方ない」という気持ちが今の私にはある。なぜならば、私達が行ってきたのはあくまで「個別支援」であり、そのことが「その地域にとってどんな意味があるのか」については、あまり考えてこなかった。ともかく目の前にいる困っている人を支えることに奔走していたので、とても地域のことまで手が回らなかったと、言い訳することも出来るかも知れないが、「地域」からすれば、「それは奥田さんがやりたいことをやっているだけでしょう」と言うことになる。現に住民説明会においてこの発言は効かれた。
地域とは何か。第一に「最大の受け皿」だと言える。どれだけ施設を作っても最終的には地域で暮らすことになる。抱樸が有する施設の居室は150室程。現在、北九州市内で生活をしている人は1,200人を超える。つまり、1,000人以上が施設を経て地域で暮らしている。第二に「地域が困窮者を輩出している」ということ。困窮する要因はそれぞれだから、少々言い過ぎかも知れないが、残念ながら地域が困窮する住民を支え切れず、時には排除さえしたのは事実。「困っている人」がいつの間にか「困った人」と呼ばれるようになる。ついには地域で暮らせなくなる。
だから「対個人」の支援だけではダメで、「対社会」の支援をどう構築するかが現在の抱樸の課題なのだ。抱樸のミッションは、➀ひとりの路上死も出さない②ひとりでも多く、一日でも早い自立を③ホームレスを生まない社会の形成の三つである。今回、挑戦する「希望のまちプロジェクト」は、第三のミッションの具現化となる。私達は、これまでの反省を踏まえ「地域創造」へと動き出す。どのような地域、どのような社会が必要なのか。住民の方々と共に考えたい。「希望のまちプロジェクト」の趣意書には、このようなことばが書かれている。「希望のまちは、孤立する人がいないまちであり、助けてと言えるまちです。希望のまちは、お互い様のまちであり、助けられた人が助ける人になれるまちです。すべての人に居場所と出番がある全員参加型の地域です。希望のまちは、ひとりも取り残されないまちを目指します」。暴力団のみならず、貧困や格差、孤立が広がる現在の日本において「希望のまちをつくる」とは何をすることなのか。抱樸の挑戦が始まる。
しかし、「個別支援」と「まちづくり」は、「順序のある同一性の事柄だ」とも思う。まちづくりは大切だが、それはやはり「ひとりの人との出会い」から始まる。そのことだけは忘れてはならない。
イエスは、生涯をかけて苦しむ人に寄り添い、時に癒し、愛された。しかし、そのイエスは、同時に「神の国」を語っていた。それは、必然だったのだと思う。